2013-05-17 第183回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
その惨状を知った彼は、その後、原爆開発に否定的になり、その結果、アメリカ政府の一切の公職から追放されました。後年は、科学者の良心として、核兵器を開発したことを後悔し、生涯にわたり原子爆弾廃絶を訴え続けました。また、日本への償いとして、湯川秀樹博士を初め、日本の学者がアメリカで研究できるよう尽力したと聞いております。
その惨状を知った彼は、その後、原爆開発に否定的になり、その結果、アメリカ政府の一切の公職から追放されました。後年は、科学者の良心として、核兵器を開発したことを後悔し、生涯にわたり原子爆弾廃絶を訴え続けました。また、日本への償いとして、湯川秀樹博士を初め、日本の学者がアメリカで研究できるよう尽力したと聞いております。
○山崎力君 その辺のところは韓国側からもお聞きして、あの大きさのものでは原爆開発等の原子力施設をつくるにしては規模が小さいということは聞いている、ただし、それでは何のためにああいうのをつくったのかは我々もよくわからない、こういう説明があったわけです。 そこの結論だけで、形状とか何とかというのは要するに数字が入っていないんですよ。それから形状も入っていない。
これは、そちらにいらっしゃる山本外務政務次官とともにアメリカ、韓国を訪れたときにアメリカの国務省、国防省あるいは共和党の上院議員、そういった方たちとの話の中で感じたことなんですが、あのペリー報告のもとになった不可解な地下施設、これは原子力、原爆開発関係ではないかという疑いで、査察とは向こうは認めていないんですが、見学なのか査察なのかはともかくとして、行ったと。
なぜそういうふうに思うかというと、いつぞやの新聞で見たんですけれども、アメリカではプルトニウム二・三トンがエネルギー省管轄下の核関連施設で行方不明になっているという記事や、また、ロシア国内に保管されている核物質の管理が非常にずさんで、原爆開発をたくらむ団体や国家に流出するおそれがあるという報告書を、これまた自分自身は非常にずさんな管理をしているアメリカの米科学アカデミーがまとめたという新聞報道もあるわけでございます
現在の核燃料サイクルの技術は、第二次大戦中に原爆開発の関連で開発されたものが多く、必ずしも整合性の観点に立って研究開発されたものではありません。一九八七年の原子力長計の改定のころから、原子力委員会は、欧米主導のキャッチアップ型開発からの脱皮を表明して、新しい核燃料サイクルの研究開発に着手してまいりました。現在、基礎研究、基盤研究レベルにあります。
原爆開発マンハッタン計画の参加者の一人であるパグウォッシュ会議の委員バーナード・フェルト博士は、「報告書の送り先から見て、核戦略研究に使われていることは確実だ。個々の研究者がいくら善良で、純粋な気持ちであっても、その研究成果が予期せぬことに使われていく、それが科学の怖さなのだ」、こう述べております。
御承知のようにこれには、アメリカの原爆開発のトップ的な学者であったオッペンハイマーの悲劇というものが、それだけじゃございません、ずっとそれに至るまでのいろんな研究、科学者の状況というものが詳細に書かれておるわけです。学者の良心というものが、国家権力によっていやおうなく軍事利用の方向に持っていかれた。
このプライドが、中国とソ連は別々な受けとめ方でありますが、原爆を持たなければ、力を持たなければ、国際関係の外交場裏において真の発言権はないんじゃないかという感じから原爆開発にも導かれたものだと思いますが、そういう形において国際的な外交の裏表というものはきわめてどす黒い深刻な渦が戦中、戦後に渦巻いておったのであります。
○小巻敏雄君 基本が軍事開発を中心にして、どこの国でも軍事というのはたくさんのシークレットを持つものであって、国民の目から覆われた場所で、アメリカのごときは原爆開発ではビキニ環礁で日本の国民にも大きな損害を与えたわけですけれども、こういう状況の中で開発をされてきて、そしてようやく六〇年代ぐらいに入ってからこれを新しいエネルギーとしてアメリカは国際的に売り出すことを決めた。